2014年、渋谷区がこの地に温泉プール付きの保養所を開設したことを機に、私は区議会議員としてこの施設を区民に宣伝し盛り上げること、以前から防災協定を結ぶ友好自治体であった河津町との親交をさらに深めることを考えてきました。私が会長を務める渋谷区トライアスロン連合もこの地を合宿で利用することになり、穏やかな気候、綺麗な海、美味しい山海の料理にほれ込んだ私たちは「いつの日かここ河津でトライアスロンを!」と考えるようになりました。河津町・相馬町長に「町おこしとしてトライアスロンをやりませんか?」と相談したところ意気投合、渋谷区トライアスロン連合のメンバーと河津町役場の担当者とで、コースの設定をはじめ、警察署や各関係団体への説明や協力要請を繰り返し、今回伊豆半島で初めてとなる、本格的なトライアスロン大会の開催となりました。この地は河津桜、カーネーション、バラなど日本を代表する花の町でもあります。大会名はずばり「河津フラワートライアスロン」実施日は国内最終戦となる11月13日となったのです。
さて、レースディレクターとしての伊藤たけしの仕事です。当然ですが、この大会を企画した人間として、大会運営全般に責任を持たねばなりません。コース設定、警察署、町役場、関係機関との打ち合わせ、レース運営をお願いする、審判員、ボランティア、警備員などの手配、大会PR、スポンサー集め、選手募集、会計事務、備品調達、配布物作成などなど、大会前はやらねばならないことがてんこ盛りでした(本業の区議会議員の仕事もちゃんとやっていましたよ)。そして迎えたレース当日は、簡易トイレへのトイレットペーパー配備などの雑務をこなしつつも、もっとも苦しい決断が待っていました。当日朝スイムコースの河津浜では海中の潮の流れが強く、ブイを固定するためのアンカーが打てないことがわかったのです。波はやや高い程度で試泳も行いましたが、技術代表、審判長からのスイム中止の要請は受け入れざるを得ず、私にとって今大会一番の痛恨事となりました。
結局レースは審判団の判断で、浜からトランジション1までのショートラン、バイク、ランという変則的なものになりましたが、当日は天気がよく、朝方こそ冷え込みましたが、選手たちの話しではレース中はかなり暑かったとのことでした。バイク、ランでは大きな事故もなく、完走率100%という、すばらしい結果となりました。フィニッシュ会場では、フラワートライアスロンの名にふさわしく、町の名産のカーネーション、バラの苗が参加選手に配布され、これまた町が用意した、名物・わさび丼や山海の珍味、鍋などで選手をもてなす、おもてなしコーナーが設けられ、選手や応援者、家族で大いににぎわいました。
第1回大会ということもありミスやトラブルもありました。主催者側の準備不足などで選手の皆さんや、関係者の皆さんに不足の思いさせてしまったことがあるかもしれませんが、大会アンケートの結果を見ると、河津町の印象やレース運営については概ね満足いただいたようでした。何より当初、トライアスロンのことなど何も知らなかった河津町の皆さんが、多く沿道に出て、ボランティアや応援をしていただいたこと、「楽しかった」「来年もお手伝いをしたい」と、いっていただいた事こそ今回一番の収穫だったと感じます。大会に関係されたすべての皆さんに、レースディレクターとして心からのお礼を述べさせていただきます。本当にありがとうございました!!
2017年の第2回大会は11月12日(日)の開催と決定しました。次回こそはなんとしてもスイムパートを行って、真の意味での「河津フラワートライアスロン」とする決意、引き続いての応援、よろしくお願いいたします!!
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