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― なみだ・なみだの完走記 ― |
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《レース前》 | ||
11月30日に行われた東京都議会議員補欠選挙に出馬する予定だった私にとって、このマラソンには申し込みはしていたものの当然走れるはずのないレースでした。 ところが・・・、急きょ出馬断念に追い込まれ、失意の中「嫌なことを数時間でも忘れられれば」との思いで走ることになりました。もちろんレース前のしばらくは練習が全く出来ず、調整もヘッタクレもありません。心も体もボロボロ状態でのスタートとなりました。 |
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スタート前 元気のない表情 |
高橋尚子 最初は元気 |
《レース前半》 | |
完走率41.5%という富士登山競走なみの厳しい結果となったレースです。25℃という記録的な暑さと強風、さらには、15分遅れでスタートした私達男子ランナーは、10キロ過ぎまで全く給水が取れないという大会運営上のハプニングも重なり、私にとっても、それはとてもきついレース展開になりました。 しかし、もとより記録など狙っていませんので、はじめは余裕のペースでラップを刻んでいきました。その間、私の身を案じてくれている仲間達が、沿道の至るところで声援を送ってくれます。思わずその優しさに、走りながら「ホロリ」ときました。15キロ過ぎで女子ランナーを捕まえ始め、給水にもありつけるようになってくると、元気が少しは出てきました。そのころはまだ独走状態の高橋尚子選手からも元気をもらっての走りとなりました。 |
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19キロ付近 次々女子ランナーを捕まえる |
22キロ付近の力走 |
《レース後半》 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
平和島の折返しを過ぎると風も追い風となり、しばらくは最も楽な状態となりました。しかし、練習不足と調整不足が出てくるのはここから。30キロを過ぎた辺りで、パタリと足が止まりました。サブスリーペースの維持が不能になり、残り5キロとなった市ヶ谷付近ではとうとう足(ふくらはぎ)がケイレン、立ち止まってストレッチをせざるを得なくなってしまいました。そこから先は、時計とのにらめっこで、やっとこさ国立競技場に戻ってきました。最後のトラック1周の間にも再びケイレンに襲われ止まってしまいましたが、何とかサブスリーでのゴールを果たしました。 |
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前へ前へ! |
この直後に再びケイレン |
お疲れ様でした |
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《レース総括》 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
やはりフルマラソンは甘いものではありませんでした。前半は感激の涙を、後半は苦しみの涙を流しながらのレースとなりました。しかし、それでもギリギリ3時間を切れたことには満足しています。次に走るレースでは、練習をしっかり積んで、万全の状態でスタートできるよう、そして目標の2時間50分切りを目指して頑張ります。 皆さん、応援よろしくお願いします! |
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