令和6年能登半島地震・災害ボランティアに参加
〜珠洲市へトライアスリートとして、議員として〜


珠洲市の避難所脇に設けられた災害ボランティアセンター
珠洲市の避難所脇に設けられた災害ボランティアセンター
令和6年1月1日、駅伝などを見終わり、ぼんやりテレビを見ていると、画面にけたたましく緊急地震速報が流れました。震源地は能登半島沖、最大震度6強、大津波警報も発令、テレビは固定カメラで珠洲市の様子を映し出していました。カメラのはじに移る海には黒い水の塊が揺らめいています。津波が到達してることも確信、被災状況の確認で正月気分は吹き飛びました。


 


2013年、私はトライアスリートとして珠洲トライアスロンに参加、美しい海、大谷峠を2度越える攻めがいのあるバイクコース、絶景の中を走り抜けるランとレースを堪能しました。また、珠洲市議会議長と懇談をし、珠洲焼のぐい呑みを求め、山海の珍味に舌鼓を打ちと、思い出深いトライアスロン旅行を楽しませてもらった者として、被災地に義援金を届ける活動以外に、災害ボランティアの機会を探していました。


 


私のような専門の技術を持たないボランティアが現地に入れるようになったのは、電気、水道などのライフラインが復旧し、寸断された道路の応急手当が済んだ4月に入ってからのこと、早速石川県の災害対策ボランティア本部に災害ボランティア登録をし、GW期間に現地に入ることができました。行先は珠洲市、活動内容は家屋や津波被害の海岸から災害ゴミを、専用のゴミ置き場に搬入するもの、早朝に金沢駅から災害ボランティアバスに乗り込みました。


 


金沢市周辺は大地震が起きたことを忘れるくらい、順調にバスが進んでいきました。しかし能登半島に近づき、穴水町や珠洲市に入ると状況は一変、家々にはブルーシートがかけられ、各所で道路も寸断、応急処置をしただけの道路ではゆっくり走ることしかできません。普段であれば2時間弱で到着する珠洲市まで、3時間強を要してしまいました。現地のボランティアセンターで活動内容を確認後、他のボランティアを乗せて自動車で「要注意」の張り紙のある料理店に到着、広間の畳や家具、調理器具、崩れ落ちた壁などを一日半がかりでかたづけました。


 


初めは希望を全く失ったような表情をしていた高齢の店主夫妻が、災害ゴミの片づけが進むにつれ、明るくなり最後は笑顔で「本当にありがとうございました。ぜひまた、珠洲トライアスロンに帰ってきてください」と言ってくださいました。私たちの活動など取るに足らないものだったかもしれません。しかし、現地で見たもの、聞いたこと、体験したことは議員として、一朝有事の際の大事な経験として生かしていく所存、能登半島の一刻も早い復旧、復興を願います。


 


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